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哲学いろいろ

        ――シンライカンケイ論――

もくじ→2005-04-07 - caguirofie050407

第二部 シンライカンケイについて――風の理論――

2005-04-16 - caguirofie050416よりのつづきです。)

第三十九章 好悪原則の社会は 《イジメ‐イジメラレ》の循環によって均衡を得ているのだろうか。

(1194・11・20)
三十五章から触れてきた《普遍的な原理》または《世界宗教》の問題 これについて考えておきたい。
これはまず初めに 積極的にこの《普遍的な原理》が存在するというために 議論するのではない。必ずしもそれを論証しようと思ってのことではない。第一種の好悪原則や第二種の偽善原則では 立ち行かないであろうと思われること しかもそれらに代わる別種の考え方・生き方が存在すると思われること これは 人びと一般に共通のものであり 実際に課題となっているのではないか こういったことのみ まずは確認しようと思う。そのようにしてこれは これまで保留していた《神もしくは言語(つまり むしろ 表現とその過程)あるいは 世界宗教(やはり 表現の問題として)》のことにつながる。
この章では 現在の社会において 別種の考え方が要請されているのではないか 第三種の考え方がありうるのではないか そのことをめぐって 現実の情況を確認することのみおこなう。
たとえば最近の新聞記事から直接 その問題状況に触れた内容を引用し それをもって共通の認識としたい。

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