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哲学いろいろ

文体――第四十章 眼(ま)ドルマン(上)

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2005-02-20 - caguirofie050220よりのつづきです。)

第四十章 眼(ま)ドルマン(上)

α
私が 二歳の時のことです。父は会社から帰ると 丹前に着替えて 火鉢に当たって夕刊を読んでおりました。当時は 戦争が終わってまだ間もない頃でしたが 寒さを凌ぐものといって穴蔵の炬燵に火鉢 そして寝床には湯たんぽとこれっきりありませんでした。父は寒暑に怯えることを甚く嫌っていましたので 矢倉炬燵に足を入れれば さらに少しでも暖をとれるのでしたが 居間に一枚座布団を敷いてその上にきちんと坐って新聞を読んでおりました。
私たちは 日本の寒い地方に住んでいた訳ではありませんが それでも 二月などには底冷えのするほどの猛烈な寒波の押し寄せる日々があるものです。私も 火鉢の横に坐って(勿論 幼児ですので 短い脚をぜんぶ投げ出すあの恰好ですが) 積み木の玩具やらで遊んでおりました。父は やはり寒いのか 新聞を両方の手で交互に持ち替えて 一方の手は 頻りに火鉢にかざしていました。父の手は 繊細な神経の持ち主に多い 非常に細いそれでしたが その細く長い手を煎餅(変な煎餅ですが)を焼くように くるくるくるくる翻していました。

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