文体―第十二章 デーモンが踊り始める
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(2005-01-13 - caguirofie050113よりのつづきです。)
第十二章 デーモンが踊り始める
例えば 上衣が価値物として亜麻布に等しいとされることによって 上衣にひそんでいる労働は 亜麻布にひそんでいる労働に等しいとされる。
・・・
上衣が亜麻布の等価をなす価値関係(――ある意味で デーモン関係といってもよい――)においては〔このように〕上衣形態は 価値形態とされる。亜麻布なる商品の価値は したがって 上衣なる商品に肉体で表現される。一商品の価値は他の商品の使用価値で表現されるのである。使用価値としては 亜麻布は上衣とは 感覚的にちがった物である。価値としては それは《上衣に等しいもの》であって したがって 上衣に見えるのである。このようにして 亜麻布は その《自然》形態とはちがった価値形態を得る。その価値たることが 上衣との同一性に現われること ちょうどキリスト者の羊的性質が その神の仔羊との同一性に現われるようなものである。
(¶1・1・1・3〔A・2・a〕1867)
- 作者: マルクス,エンゲルス,向坂逸郎
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《亜麻》という一植物 その他一般に資源をとらえるべき言葉としての《自然》に注意を向けたいがために わざと カッコでくくった。つまりわたしたちは ファウスト的な自然を 第一位に置いて考えてみたいわけである。
この植物を《あま》とよぶその言葉は 概念である。また この概念づけの行為も 人間の文体の展開の一環である。概念は 抽象的である。それゆえに 一般性・普遍性をあらわすことができる。Aという土地に生えているものも《亜麻》と言い Bの土地から取ってきたものも《亜麻》とよぶ。モノは二つであるが 言葉は一つである。そして 言葉の表出・表現は それとして 経験行為である。定義としては 基本主観の先行を得た結果であるという。時間的なあとさきではないであろうが 人間は自然の存在でもあり この自然はなぞを持っていたから そこにおいて 主観基本に後行して 文体が発動される。