caguirofie

哲学いろいろ

アテナイのナラシンハ

#12

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日 ( l ) (精神の《形式》) ――つまり わたしとしては きみたちの言う《情況の政治化》というものを まだ基本的には 《善の必然化》《日常生活の政治化》といった観点から 説き起こして…

#11

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( k ) (精神の《形式》) ――つまり こうです。 《情況》は 決して或る者として目に見えるかたちでは 存在しておらず――《国家》や《家族》というときも 目に見えて存在しているものは …

#10

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( j ) (精神の《形式》) ――なるほど。実際の問題として 前半の部分つまり 理論的に究めるという意味での理念と 実践的に実現しようとする意味での理念との 両面の例には いくらか あ…

#9

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( i ) (精神の《形式》) ――つまり問題は ここからであり 従って 問題が実際に起こるとするならば それは この《善の必然化(形式の意識的なつらぬき)》の第二段階とでも言うべきこ…

#8

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( h ) (精神の《形式》) ――つまり 今の第一例において Aの理想を阻んだところのBの形式は 悪ということだったが そのときもし阻まれたAの理想が 虚偽の理想だったとするなら Bの形式…

#7

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( g ) (精神の《形式》) ――わかりました。少しづつ進みたいと思います。もっとも 先人たちが体系を残してくれているとは言っても きょうのテーマについては なかなか理論立てて議論…

#6

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( f ) (精神の《形式》) ――[ナラシンハ]たとえばわたしの考えというのは 日常の具体的な〔倫理としての〕行為は その善悪を意識しなければいけないというよりも むしろわたしたちが…

#5

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第二日( e ) (精神の《形式》) ――ナラシンハさん この前のつづきなんですが その前に ひとつ こういうことをふと考えていたのです。それは こうやってぼくたちは 哲学とよばれるものをとお…

#4

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第一日( d )(《精神》‐《無》) ――ええ テオドリックというゴート人です。前のスキリ族の王オドアケルも よくした支配者だったのですが 今度のテオドリックは それ以上に一般に評判がよいそ…

#3

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第一日( c )(《精神》‐《無》) ――わかりました。ただ・・・ ただ いまの議論に対して ぼくたちの立ち場についてだけは 反論させてください。それは こうです。 まずここで ふたたび この議…

#2

――ボエティウスの時代―― もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323 第一日(b) (《精神》‐《無》) ――なるほど。 ――ええ ちょっと待ってください。もう少しありますから。 つまり もしそのようであるならば 次に このぼくたち人間の存在の中に見出された実体は …

#1

――ボエティウスの時代―― もくじ 第一日(a) (《精神》‐《無》):本日 第一日(b):2006-03-24 - caguirofie060324 第一日(c):2006-03-25 - caguirofie060325 第一日(d):2006-03-26 - caguirofie060326 第二日(e)(精神の《形式》):2006-03-27 …