caguirofie

哲学いろいろ

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

#4

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-29 - caguirofie100929よりのつづき) (A)から(B)への過程において 短歌の象徴主義を排するに至る考え方を 大岡は次のように述べている。 * これを なお明らかにしておくことは たとえば桑原武夫の《…

#3

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-28 - caguirofie100928よりのつづき) (B)の次元に移るなら かれは 表面上 倫理か没倫理かの両義性の問題を扱い 同時に すでに予表された現代詩のサンボリスムを明確に採るということ。したがって 赤彦…

#2

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-27 - caguirofie100927よりのつづき) 長々と引用したのは このことが のちのちの議論のためにも重要な事柄を含むとおもわれたからであり ここでは 両義性の問題が その内容として さらに二つの段階に分か…

#1

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917(両義性の岐路に立っての選択 / 多義の系の中からの出発 / 共同主観の共同観念に対する主導性 / 《あいまいさ》の中の〈はっきりしたところ〉と〈あいまいなところ〉と) ――大岡信《日本古典詩人論のための序章――万葉…

Israéliens et Palestiniens

: deux peuples - un seul Etat ? Alors que la communauté internationale pèse de toutes ses forces pour une solution dite des «deux Etats pour deux peuples », certains Israéliens et Palestiniens imaginent des solutions reposant sur un Etat u…

#10

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-25 - caguirofie100925よりのつづき) 一九七六年の詩人は 六九年の詩人からの展開であり しかもそれは 発展であると位置づける必要があろう。しかも 一九七七年の詩人は 後退するかのごとく あたか石女の…

#9

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-24 - caguirofie100924よりのつづき) しかし詩人・大岡は みづから この多義の系なる共同観念をうたって描く。わるく言うと いわば繭の中で 堂々巡りのように。 ただしまた この共同観念あるいはつまり 社…

main

coup de main 強襲 tenir un coup de main ocntre :〜を襲撃する 無謀な企て 助力 donner un coup de main a qn :人に手を貸す

#8

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-23 - caguirofie100923よりのつづき) 大岡信の作品をさらに引く。 きみは描けるといふのかい ありったけの 絵具をつかへばこの空に 絵が きみは乾かすことができるといふの ありったけの 枯草を集めて燃や…

律法の成就?

ローマ書 10:4 (口語訳=1954年改訳) キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。 (共同訳 1978) 実は 律法はすべてキリストを目標としていたのであり 今やキリストを信じる者は皆正しい者とされるの…

#7

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-22 - caguirofie100922よりのつづき) 街のしめりが 人の心に向日葵ではなく 苔を育てた。 苔の上にガラスが散る。 血が流れる。 静寂な夜 フラスコから水が溢れて苔を濡らす。 それは 血の上澄みなのだ。 …

信仰と律法

わたしたちが――いろいろ考えて最終的に――判断をくだすときに もし心に逆らうような内容であれば やましさを感じるわけです。あるいは胸騒ぎもするでしょうし 顔をあからめたりもします。さらにまたこれらにあらがおうともします。 あきらかに良心は 《感情に…

#6

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-21 - caguirofie100921よりのつづき) 生活してゆく上で絶えず曖昧である事件に関わらざるを得ないのは 一般に八百万の神々とともに育つ日本人なら 多かれ少なかれ経験するところである。これは 特に西洋の…

#5

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-20 - caguirofie100920よりのつづき) かれ(大岡信)は 数え切れない子供をかかえて それらを育てることから出発した。そして 引用の一節にあるように その挫折を経験することからの出発となる。 多義の中…

#4

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-19 - caguirofie100919よりのつづき) たとえば ああいま樹々のあいだで 裸になって わたしはあなたをおもう 地上のどこにもいないひと 雹を運ぶ蒼白な実りの焔 わたしの臓器に放電する あなたの非在 これ…

#3

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-18 - caguirofie100918よりのつづき) obscure :物が暗くて(隠れていて)よく見えない vague :思想・陳述・感情・感覚などが 正確(精密さ)を欠いてあいまい enigmatic:意義が不明で 人を困惑させる c…

#2

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-18 - caguirofie100918よりつづく) 何に明るいのか。もちろん 自分たちのあいまいであることに明るいということがそれだと茶化すのではない。或る自分を見るとき つねにと言っていいほど もう一方に 別の…

愛は おそれを知らない。・・・

愛は おそれを知らない。愛のあるところに おそれはない。しかも 相手に自分勝手な欲求をぶっつけているだけではないだろうかという清らかな不安を感じ 相手に対する単なるおしつけの愛になってはいないだろうかという清らかなおそれを つねに 持っている。…

纒向遺跡に桃の種2千個

…3世紀、祭祀に使用? 読売新聞 09月17日21時51分 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀中頃の穴から桃の種約2000個や竹製のかご6点が出土したと、市教委が17日発表した。 桃の種が1か所でこれほど大量に見つか…

#1

もくじ #1:本日 #2:2010-09-18 - caguirofie100918 #3:2010-09-19 - caguirofie100919 #4:2010-09-20 - caguirofie100920 #5:2010-09-21 - caguirofie100921 #6:2010-09-22 - caguirofie100922 #7:2010-09-23 - caguirofie100923 #8…

Ruth

Naomi כִּֽי־מַר־לִי מְאֹד מִכֶּם כִּֽי־יָצְאָה בִי יַד־יְהוָֽה׃ 1:13 ‛οτι ’επικρανθη μοι ‛υπερ ‛υμας ‛οτι ’εξηλθεν ’εν ’εμοι χειρ κυριου ・・・主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めている…